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2003年12月20日

思い出3つ。

 すごく疑問に感じていることがあり、なぜそんなに気になるのかものすごく考えたのです。その理由として、関連する記憶があることに気が付きました。その思い出したことを書いておこうと思います。
 
 わたしには問題となっているものの一部しか見えていないはずなのですが、誰が全てを知っているのだろう、と考えるとますますわからなくなっています。なるべく正直な気持ちを書こうとは考えていますが、それさえも検証が必要かもしれません。
 
 人は自分が見たいものを見、自分が見せたいものを見せます。私は、どっちかと言うと全部を知ってから選ぶ方が好きなんですが、世の中どうやら選択権は限られている。このわたしの書き込みも、わたしが見せたいものを書いているので、わたしは非常に独善的で偏狭です。
 
 そういわれてもしょうがないです。
その1:
 わたしが20才そこそこの学生だった頃の話です。知り合いのイラク人のところに遊びに行きました。彼女は12才で結婚、3人の子どもを次々と出産し、わたしよりも年下なのに育児に追われていました。とてもきれいで、優しい方でした。ご主人は40歳をとうに超していた記憶があります。研究職のご主人は英語を片言で話せましたが、彼女は英単語を数個知っている程度でした。
 
 中に入るとちょうどお祈りの時間で、わたしは中で待っていることに。彼女の子どもたちは上の二人がお嬢さんで小学校の低学年程度、一番下は坊や。三人とも、いたずら盛りでした。
 
 お祈りが終わって出てきた彼女は、子どもたちがわたしのまわりではしゃぎ回っているのを目にし、かんかんになりました。たてかけてあった竹製の布団たたきを手にし、追い回しはじめました…といっても、追いかけてぶったのは上の二人。ぼうやには全くおとがめなし。
 
 そんなにひどいいたずらでもなかったのに、なぜ女の子だけひどく痛めつけるのか、私にはわからなかったのです。
 
 で、布団たたきを指差し、Why?と聞きました。彼女が発した単語は、girlという言葉でした。女の子はおとなしく従順になるように、厳しくしつけられるべきである、というのが彼女の意見で、彼女はそう育っていたのです。客の前で跳ね回るのは言語道断だったようです。
 
その2:
 かなり何年もたって、ある機関で契約で仕事をしていた頃の話です。
 当時、私は非常に働きたい気分だったのです。給料に関係なく、徹夜してでも何かに没頭している時間が長ければそれでよかったんで、仕事外のことでも何でも引き受けました。
 
 様々な国籍の方たちがそこにはいました。その中には、中東から来た方たちもいました。
 その中のひとりは、自分の国ではかなり上の役職にいた方です。彼は仕事が終わると、残業中のわたしのデスクにやってきては、アクセントも文法もおかまいなしの英語で、彼独特の文化論を小半時に渡り披露していくのが習慣になっていました。彼にとってわたしは、どんな酒場の哲学でもおとなしく話を聞いてくれる、バーのママや女の子のような存在で、一方わたしは独りでぼんやり考え込む時間をひたすら無くしたい時期にいたので、彼の話はちょうどよいBGMでした。彼はそのことを全く知りませんでしたが。
 
  彼はわたしが20代で結婚もせずに働いていることに、非常に疑問を感じていました。なべて女性は男性の加護の元にあるべきである、社会参画や職に就くなどもってのほか、と言うのが断固とした彼の意見でした。彼がそういう文化圏からやってきているのはわかっていましたが、毎日のようにあまりしつこく言い張るので、ある時、あなたの国で働いている数多くの日本人の女性をどう思う、と聞いたことがありました。
  
  彼にディープな質問したのはその時が初めてでした。聞き返されることを彼が予期していなかったのは表情からわかりました。まるで、犬が口をきいたのを見たような。
  
  彼はその質問に答える代わりに、自分の文化圏の男性なら皆同じことを言うだろう、と腹立たしげに言いました。
  
  
その3:
 とるにたらない高校生の頃の話です。夕暮れの凍り付くような地吹雪がふきつけるなか、帰りのバスに間に合わなかったわたしは、ビルの隙間に体を挟むようにして風を避け、1時間たたないとやってこない次のバスを待っていました。
 
 小柄な中年の女性が発泡スチロールの大きな箱を手押し車に積み、とぼとぼとやってきたのはその時でした。彼女は古びたスカーフをほおかむりにし、紺色の男物の作業着を着込んでいました。噛み付いてくる寒さを逃れようと小刻みに足踏みしている長靴も泥にまみれた男物で、非常にみすぼらしく見えました。汚れたマスクをしていたため、表情はよく見えませんでした。彼女は手押し車に乗せた箱の蓋を開け、カニを買って下さい、とマスクの中からモゴモゴと悲しげに呼びかけました。
 
 それは規格外の小さな毛ガニでした。明らかに乱獲を防止するための法律に抵触しているのが判るほど、手のひらに入るくらいの小ささでした。彼女はそれを買ってくれ、でないと今日の生活も成り立たないから、とマスクでくぐもった声で周りに訴えました。
 値段は3個で2000円。微妙な値段です。
 しかし、その哀れな声にほだされてひとりのお年寄りが手を出すと、次々に手があがり、ほどなく箱は空になりました。わたしはその様子をビルの影から、ぼんやりと見ていたのです。
 
 やがて誰もいなくなり、カニを売っていた女性はカニの箱を片付けはじめました。
 ふう、と息をついてマスクをはぎ、にっかりと満足げに笑ったその口には、ずらりと金歯が並んでいたのです。
 すべての歯が、金色でした。
 最後の夕日に照らされ、オレンジにキラリとまぶしく光ったのを、わたしは未だに驚きとともに覚えているのです。

****** 
 今、わたしが考えているのは、「あるイラク人からの手紙」のことです。この手紙はNGOの代表の女性あてにEメールで送られています。この手紙を読んで、それに答えようと、今、熱心に活動している大勢の方がいます。その活動力は称賛に値するほどすばらしいし、もしそれで国政を左右できるのならすごいと思います。

 それでも、疑問が解けないのです。

 混乱時のイラクから、なぜEメールで、英語で書かれたものが送られてきたのか。なぜ手書きの手紙ではなく、メールなのか。

 YahooJapanで検索が出来るほどの日本語環境をもったPCが戦時下のイラクにあるのか。隣国のシリアでは宗教上の理由からか、電機製品に関して厳しい規制をしいていて、FAX機さえ導入するのが困難なんです。ましてやイラクで、一市民がPCが自由に使える環境ができるのだろうか。仮に、ネットカフェがあったとしても、国政を左右するようなことを書くことができるだろうか。現地のために働くNGO団体なら、アラビア語で書かれたものであろうと解読するはずなのに、なぜメールはわざわざ英語でかかれているのか。アラビア語の識字率さえ半分そこそこなのに、英語はどのくらいの人が話しているのだろう、仮に翻訳ソフトを使ったにしてはなぜこんなにも論理展開が流暢なのか、と考えるとますますわからなくなります。多分、これはこうだよ、とスラスラと言ってくれる人もいるかもしれませんが。
 
 NGO代表とはいえ、メールはなぜ女性あてなのか。中東の男性が持つ、女性に関しての見方についてわたしが受けた印象と少しズレがあります。もちろん、わたしが一緒に仕事をしたり、話をした数十人の中東の方達だけが、はなはだしく偏ったことを考えていたのかもしれません。もしくは、わたしの勝手な思い込みかもしれません。
 
 こう言った種類のメールが、内容は若干異なるものの数種類が作成され、乱発されていることにもなにかの意志、または警告が働いているような気がするのは気のせいなんでしょうか。わたしがイラク情勢に関して無知なのは承知していますが、調べるソースが特定のものしかない以上、それに関してものすごく用心深く考えたいのです。
 心動かされる前に。
 
 そして、派遣に関してはまったく別の問題です。
 
 このブログで大きな活動をされたり、賛同されている方の意見を読んで、ああ、すばらしいことだ、と思いました。正直言って、参加してみることを考えると、大きく心が揺れたのです。
 でも、わたしが疑問を持ったままそれに参加すると、言われるままに小さなカニを買わされるような気分が、後からしてくるのは間違いないないんです。
  
  たぶん、これを読んで、私が疑問に感じている事自体に、非常に疑問を感じる人もいるかもしれないのです。今の流れに水を差す、と腹立たしく思う人もいるでしょう。そのつもりはまったくありません。

  でも、もしそう考えるのなら、ごめんよ。
 
  先にあやまっとく。
 
 …きっと神経質なタイプなんだ、わたしは。
 こんなことを毎日考えるのだから。

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この記事へのコメント
奥参事官の「イラク便り」の7月22日付けの日記によると
フセインが居なくなったことにより、今まで禁止?されていた
ネットカフェが、大流行というような記述がありました。
たぶん、嘘ではないでしょう。
Yahさんの疑問が払拭されるかどうかわかりませんが
少なくともネット環境は、あるようですね。
Posted by manbow at 2003年12月21日 07:17
数人の若者が椅子に座って画面を一緒に覗き込んでいる映像がありました。タイプをしているのか、ものすごく気になりました。

それでも、なんかずっと頭について離れないのです。わたしが以前、ある団体のために、毎日のように海外から送られてくるSPAMメールをそれぞれの担当者に転送する仕事もちょっとだけしていたからかもしれませんが。メールを握りつぶしたことはありませんが、SPAMなのか、それとも急を要する要望なのかを、かなり考えました。

 確かに、手紙についてはある真実を言っているかもしれない。
 本当にそうなのか皆知りたいと思っているからこそ、イラクに調査に行ったり、現地でのルポを伝えたりします。
 その映像を何度も一生懸命見るんですが、何か、バラバラした印象を受けます。はっきりとした言葉を使っているにも関わらず。

一個人の意志が国や集団の意識を代弁して語るように見える時、わたしはすごく考えちゃうんです。

それは、日々の事柄にもあてはまるんで、わたしは最近ものすごく疑り深いです。自分が何かを言う時にも、これが本当の気持ちなんだろうか、といろいろ考えます。なるべく正直には書こうと考えますが。

憲法の前文を読みながら、派兵するべき、と言った人の演説は、わたしがリスニング教材として使用している、アメリカ大統領就任演説にパターンが似ていたため、より真剣に考えます。

これで、誰かが再び殺されたりしたら、「イラク人嫌い」「イラク人は敵」ムードが一気に起こるのではないのか、というのが一番気になります。

何度も言いますが、派兵に関してはこれとは全く別の問題です。誰だって親しいものを亡くしたくはないし、何がなんでもとめようとするでしょう。そのお気持ちにわたしは賛同しています。
Posted by Yah at 2003年12月21日 09:11
Yahさんが気になることは、Yahさん自身の中で、大切にしていってほしいと思います。
Yahさんほど、はっきりと書けるほどではありませんが、「あるイラク人からの手紙」のこと、私も「う〜む・・・?」と思うところがあります。
そして、そのことにとどまらない「ひっかかり」「気になる」「違和感」・・・?のようなものがあるんです。イラクに関することだけではなく、他のことも連想してしまいます。
 でも、これは「私らしさ」の一部分だと思うのです。(良いの悪いのという話ではなくて)
ですので、Yahさんご自身として、自分なりにこの「もやもや」を大切にしていっていただきたいと思う次第です。

 なんだか、うまく書けなくて申し訳ありません。
Posted by ゲスト at 2003年12月21日 12:38
軽く読み流していただければ、気が楽です。
妙なことが気になると、ずっと気になる性格なだけなので。

読んで下さって、ありがとう。
Posted by Yah at 2003年12月21日 19:21
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